あのしあわせはどこいった

とにかく「何か」を届けたいから

僕のブログは「嫌われない」 でもそれ以上に「愛されない」

こんにちは、ぽちです。

 

前回まで、安全地帯・玉置浩二の記事を大展開してしまいました。話についてこれなかった人もいると思うので、今回は別の話題にしますw

簡単に言えば、ブログって、結局のところ書き手の人間性そのものだな~って話です。

 

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ブログをやっていると、できるだけ多くの人に自分の記事を読んでもらいたいと思うでしょう。僕はこのブログとは別に、自分が初めて立ち上げたブログがあるのですが、それをはじめた当初もそう思ってました。

 

でも、必死になって書いた記事が誰からも相手にされない・・。

ま~ブログなんて最初はそんなもんだろ、自分が興味のあることをガンガン書いていれば、誰かがついてきてくれるさ、と思って半年続けても状況は変わらず。

 

記事数は増えるので、数字的にはオーガニック検索で訪問してくれる人は増えましたよ。でもなんとなくわかるんです。このブログ、相手にされてないなって感じ。滞在時間や直帰率などがよくないというのもあるんですが、それ以上に冷ややかな感覚が伝わってくるんですよ、ブログを書いているみなさん、そういう気持ちになったことありません?

 

「ひょっとして、自分の記事は人に嫌われているのかもしれない」

被害妄想が爆発した僕は、ネットサーフィンしてその理由を調べてみました。すると大体こんなことが書かれているんですね。

・ネガティブな記事が多すぎる

・上から目線

・読者が求めていないテーマをかいている

などなど。

 

まーそうだよな~、でもよく言われている一般論だし・・自分もその辺は気を付けているつもりなんだがな~、と思ってました。

 

そんな自分に平手打ちをくらわせたのがこの記事

 

hitomishiriman.hatenablog.com

 

この記事の要旨はこんなところです。

気を「遣う」人

人への細かい気配りができる人。こういう人は他人から好かれる。

気を「使う」人

「他人に嫌われたらどうしよう」「自分をよく見せたい」と自己保身ばかりにエネルギーを使う人のことで、こういう人間からは人が離れていく。

 

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図星すぎる言われちまいましたね・・・"(-""-)"

 

そう、僕のブログは「嫌われないように」、そして「反論が出ないように」あれこれこねくりまわすことに時間とエネルギーを使っていたんです。

時間をかけている分、何となく整った文章っぽい記事にはなってましたし、作成当時はそれなりに満足感があったんです。

しかし、今その記事を読みかえしてみると、あきらかにつまらない

 

ちょうど教養ある学者が長い時間をかけて作り上げたはずの教科書が面白くないのと同じです。批判が出ないように、偏らないように、あちこち削り落としていくと「のっぺらぼう」な文章になってしまうんですよね。学者ほどの教養がない僕が書いた記事じゃなおさら。

 

 その人の性格にもよりますが、少なくとも僕の場合、批判されない記事を書く方が遥かに簡単です。だって人に嫌われないように気をつける点をふまえて、それに違反しなければいいんですもの。いうなればルールに違反しないという消極的な作法で足りるんです。

 

学校のテストならそういう文章を書くと評価されますよ。

「~という意見がある。それに対して○○という意見もある。両方の立場を理解してより調和をとれた世の中を目指すべきです。」みたいなやつ。

 

これに対して、ブログの世界で(そしておそらく実社会でも)「愛される」ものを作るためには、もっと血の通った「その人そのもの」の姿や思考が大事(就活の指導みたいだな・・)。これはルールを守るだけではダメですね。自分の知識や経験を総動員して、相手の気持ちに想いを馳せながら手探りで記事を生み出していくしかない。

 

今、人気のブロガーさんたちはそんな記事からにじみ出た「人となり」に多くの共感を得た人たちなんだろうな、と思います。自己保身を考えないから多少の批判があってもへこたれないし、嫌われないことを恐れすぎないから自分の意見を堂々と描く。

 

人気のあるブロガーに記事を読んていると、「あれ、これちょっと言い過ぎじゃないの?」と思うことがあります。当然、それについて批判があったりするんですが、悪質な炎上記事でもない限り、そのブロガーは愛され続けています。

 

こんなこというと、たとえば「イケ〇ヤさんが、みんなから愛されてんのか?」みたいな疑問も出てくるでしょうが、少なくとも彼はブログで大成功したというサクセス・ストーリがあり、血の通った記事には求心力があります。だからこそ一部の人間からは愛されているんでしょう。

 

逆に、嫌われないよう自己保身ばかり考えている人間は、つまらないばかりか、何か過ちを犯したときに大きい反感をくらいます。

 

僕は先人たちのような愛される記事を書くことができるのだろうか・・。

やはり「無難」で、読んでも読まなくてもいい記事に逃げてしまうんだろうか・・。

だとしたらやっぱり僕の器の大きさはそこまでということ。

 

「愛される」ブログを書くにはどうしたらいいか。

その問題は、結局「人間性」というおそらく最も大事な、そして正体不明でやっかいな言葉と格闘することでしか解決しないんでしょうね

 

だんだん僕の愚痴癖がエスカレートしてきたのでこの辺でやめときます。

今回も付き合いくださってありがとうございました。