安全地帯・玉置浩二を知らない人のための 過去作品見取り帳(その3)
こんにちは、ぽちです。
今回は前回に引き続き、安全地帯とそのメインボーカル玉置浩二(略して安玉)についての記事です。第3回目でやっと現在の活動に追いつきましたね。それだけ彼らの歴史が長いということです。
今回は2010年の安全地帯復活から現在までの活動を見ていきます。
ここまで来ると今の人にとっても記憶に新しい場面があるのではないでしょうか。
それではいきます。
1 安全地帯完全復活期(2010~2013年)
2009年までの玉置はファンの眼から見てもボロボロでした。
病気で活動中止するのはまだしも、石原某と再婚の真似事をしてギリシャに旅立った時は「この人このまま終わっちゃうのかしら・・?」と思ったものです。
そんな玉置ですが2010年にひょっこり安全地帯として帰ってきます。
しかも軽井沢時代と比べてかなり「気合の入った」安全地帯です。往年のスタイリッシュさと歳を重ねたことによる円熟味を調和させた素晴らしい作品を作り上げています。上に挙げた「安全地帯Ⅺ」の先行シングル「青いバラ」はその代表格。この作品はファンとして安玉初心者に正々堂々お勧めできる秀作です。この曲はシングルヒットチャートトップ10にも入りましたしね。
長らく音楽から離れていたので、溜まっていた創作意欲に火がついたのか?
3回も離婚したので音楽活動を頑張らなくっちゃ経済的に大変なのか?
理由はともかく、精力的に活動する安全地帯を見られるのはファンとして嬉しい限りです。
しかし、しばらくすると精力的な反面、玉置特有の「危なっかしさ」も顔を出します。
再婚相手の青田典子との新婚時代のパフォーマンス(?)に「引いた」人も少なくないのではないでしょうか。そんな「イタい」キャラが週刊誌で面白おかしくとりあげられ、音楽活動以上に世間に注目されていたのを複雑な心境で見ていたのを覚えています。
このころの玉置を一ファンの目線で分析すると、
どうせ自分は「いい人」になれない。もっと開けっ広げでいこう。どうせ「玉置浩二」って、世間ではこんな風に見られてんだろ?
でも内心はナイーヴだから、「ゴシップ人間」になり切れない。でも世間はまともな音楽人としてみてくれないし・・もうどうしたらいいかわかんない。
みたいな感情がごちゃ混ぜになっていた時期なんじゃないか、と考えています。
そんな負の感情が爆発したのか、このころコンサート中に客と喧嘩したりステージで寝っ転がるなど問題行動を起こして世間を騒がせましたね。決して誉められたことではありませんが、長年この人を見ている立場からすると「さもありなん」という感情もあり、あまり怒る気にもなれません。
ちなみにその騒動を起こしたコンサートツアーの最終日はライブアルバムに収録されています(もちろんこれは最後までちゃんとやり切っている回です)。
安全地帯”完全復活”コンサートツアー2010 Special at 日本武道館~Starts &Hits~「またね・・・。」
- アーティスト: 安全地帯
- 出版社/メーカー: ユニバーサルミュージック
- 発売日: 2010/12/08
- メディア: CD
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往年の名曲が揃っており、本来ならベスト盤的な価値を見出したいところですが・・いかんせん上述した通り玉置の状態が安定しない時期なので、聴きづらい歌唱です。野太い声で吐き捨てるように歌うそのスタイルは、美声の玉置とは程遠い。玉置の心の叫びをきいて一緒に高揚感に浸るという聴き方ができない限り、手を出すべきではない作品だと思います。
「いい人」から脱却した玉置が、その後の安全地帯をどのようにしていくのか。
ファンである僕は、不安な気持ちで見守っていましたが、どうやら玉置はソロ時代の作風を安全地帯に組み込むことを選んだようです。その作品が以下の2つのアルバム。
安全地帯XIV~The Saltmoderate Show~
- アーティスト: 安全地帯,玉置浩二
- 出版社/メーカー: スティーズラボミュージック
- 発売日: 2013/03/06
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ジャケットからも分かるようにコミカルというかシュールというか、とにかく遊び心満載ですね。この作風はソロ時代の「JANK LAND」に通ずるものがあります。玉置は以前からの安全地帯の枠を壊し、より自身が自然体でいられるスタイルを選んだわけです。
そもそも玉置は、ああ見えて人を笑わせるのが好きです。
子供のころ、生徒会長に立候補をする場面で渥美清の物まねをして受けを狙ったような人ですから。「いい人」をやめた玉置は、周りの反応よりも自分が自然体でいられることを選んだんですね。
この傾向にはもちろん反発もありました。安全地帯はクールで都会的であるべきだという人から見れば、「こんな作品、ソロでやれよ!」という気持ちになるんでしょうね。ただ、「JANL LAND」の作風が好きな僕にとっては、こういう遊び心ある方向性の方が本人たちが楽しくやっている雰囲気が伝わってきて好きです。
この方向性になったのは、玉置が2010年以降自分で作詞することが多くなったことも影響していると思います。玉置は田園に代表されるように人生賛歌的な詞を書くことが多く、恋愛路線の作品のみを作るのは息苦しさを感じたのかもしれません。
ちなみに僕は、玉置の恋愛系の歌詞はあんまり好きでないです(「青いバラ」はよかったけど)。彼の詞は「二人だけでどこか遠いところへいこう、ベイベー!」みたいな現代人からすると直線的すぎてイモ臭い(?)男女観が見え隠れするんです。洋楽の詞ではこういうのもありかもしれませんが、今の日本でこういう方向性に共感する人は少ないんじゃないかな。
反面、玉置は失意から立ち直っていくような人間の内実を描く詞は抜群に上手い。悲壮感とやさしさをないまぜにしたような何とも切なく暖かい気持ちになる言葉が多いんです。「君がいないから」なんてほんと秀作ですもの。安全地帯にソロの要素を取り入れたのも、この方が玉置の詞が生きるからなのかもしれません。
そして、こういう作品を作り始めてから玉置の状態もだんだん安定し始めてきたような気がします。まあ一種の「開き直り」だったんでしょうが。
2 そしてソロ「も」始める(2014~現在)
⑴ 二足のわらじ
ソロの路線を安全地帯に取り入れたなら、ソロも安全地帯も一緒じゃん、と思われるかもしれませんが、やっぱり両者は微妙に違います。やっぱり安全地帯はバンドなんです。したがってバンドで映える作品と個人で演出した方がいい作品は作り分ける必要があります。
では玉置はどうしたのか。ソロも安全地帯も両方やっちゃえと思ったわけです。
以降、作品名義はソロのものが続きますが、ときおり安全地帯としてもコンサートを行うなど二足のわらじの活動を続けているわけです。
というわけで、現在は安全地帯も活動している状況ですので、バンドのしての活動も無視できないのですが、オリジナルの作品名義はソロのものが中心ですので、ソロとしての活動を見ていきます。
⑵ 「深化」したソロ作品
安全地帯でコミカルな一面を見せた玉置。その後のソロ活動でもその路線を爆発させるのかと思いきや、そうでもありません。
確かに2013年にドラマの主題歌になった「サーチライト」を発表したときは、マスコミ上では「破天荒な玉置」のイメージが残っていましたが、上記のアルバム「Gold」以降の作品は、人生の後半を迎えた人間の心情を歌った「深い」ものが多くなっています。
※今年亡くなった玉置の母 房子さんを歌った「純情」
それもそのはず。「田園」とき30代だった玉置も、このころすでに50代半ばを超えています。自身の「老い」を意識し始めているはず(上記アルバムの収録曲「セコンド」参照)。そんな自分にどんな「愛」をつたえられるか?そんなテーマを探っていると作品も神妙なものが多くなってくるんだと思います。
「老い」というとネガティブに聞こえますが、僕はこれは肯定的にとらえたいです。実際、彼の歌唱は、エネルギーを亡くすどころか、より円熟味を増してどっしりとしてきました。玉置自身も最近ではオリジナルの制作よりも、歌唱そのものに力を入れています。「歌は50歳を過ぎてからだ」と本人も言っているように、今は「歌うこと」に専念したいということなんでしょうね。
⑶ 「シンフォニック」な玉置浩二
そして現在、その「歌唱重視」の玉置が行き着いたのは「シンフォニックコンサート」です。壮大な演奏と玉置のエネルギッシュな歌は好相性だったらしく、現在でも公演は大人気です。
一時期、玉置はクセをなくそうと平面的な歌い方になっていたときもありましたが、やはり彼は「歌い上げる」方がその良さが出ます。たしかに数年前まで玉置はフェイクが多くてクセが強すぎる感もあったのですが、最近は少し収まりつつあります。歌唱のバランスの良さを考えると、ひょっとしたら今が過去最高の状態かもしれません。
3 これからの安全地帯・玉置浩二
今はシンフォニックコンサートでオペラ歌手さながらに歌い上げている玉置浩二ですが、もちろんこれがずっと続く保証はありません。彼のことだからまたどこかでフルモデルチェンジするかもしれません。
しかし、ここまで振り返ってみると分かりますが、彼が音楽が好きで人生をかけて取り組んでいる点はずっと一貫しています。そのひたむきさと音楽の天才的な才能があるから、歳をとっても衰えることなく、むしろ進化しているのではないでしょうか。
よく「クセの強い酒ほど熟成すると良い酒になる」といいますが、玉置浩二という歌手もそのタイプなのかもしれません。いろいろ言われるだけのこともやってきましたけど、歳を重ねるごとに、次第に品行方正なだけの人間にはない魅力が増してきたようなきがします。
僕が長年ファンでいられたのも、そんな彼の「懐の広さ」があったからなのかもしれません。これからも期待と不安を抱き彼の作品を追いかけていくんだろうな~と思います。
とりあえず安玉についての記事はここで一区切りします。
ここまでお付き合いくださってありがとうございます。