安全地帯・玉置浩二を知らない人のための 過去作品見取り帳(その1)
こんにちは、ぽちです。
今回は、安全地帯とそのメインボーカル玉置浩二(略して安玉)についての記事です。
一般的にみて、玉置浩二という男はかなり「クセ」があり、好き嫌いが分かれる人物のようです(彼の作品を長らく聴いている僕は、その「クセ」が当たり前になっちゃってますが)。
その「クセ」について語ろうと思うと、一冊の論文が書けそうなくらい長くなってしまいまいますので、ここではやめておきます。ただこの記事で必要な範囲で簡単に言うと、彼はその時々の境遇や心境で全く違った音楽の世界を作り上げ、その世界に自分をすっかり染め上げてしまう傾向にあると思ってるんですね。
つまり彼の作品は数年ごとにフルモデル・チェンジします。
そしてその作風に合わせて自分自身もガラッと変わってしまうので、事情が分からない人にとっては「なんかよくわかんない人」に見えてしまうんだと思います。
とはいえ、彼の作曲能力・歌唱能力はずば抜けてすごい。
そのすごさを「よくわかんないから」という理由で触れずにいるのは勿体ないです。
そこで今回は、今までの彼の作風や歌唱がどのように移り変わってきたのかをまとめてみました。「この時代の玉置はこんな感じ」という頭の整理がつけば、彼の作品にもとっつきやすくなると考えたからです。
以下、時代ごとの彼の作風に関する解説と、その代表作を挙げてみたいと思います。
1 黎明期(1982年)
1982年に「萌黄色のスナップ」でデビューした安全地帯。
僕はこのころの作品をリアルタイムで触れてはいませんが、初めて聴いたときにはびっくりしました。「ワインレッドの心」に代表されるような「都会の夜の歌」路線と全く違い、アメリカンロックを基調にしたザラつきのある曲風が中心だったのです。玉置の歌唱も、最盛期と比べるとまだ声が細めで若々しい。
そんな傾向を象徴しているのが上に挙げた「安全地帯Ⅰ~Remennber to Remember~」です。正直言って、曲風・歌唱共に時代を感じさせるし、少し「イモ臭さ」が残る時期の作品ですので、一般受けはしないでしょう。しかしファンが彼らの音楽の造詣を深めるために触れる分には価値のあるアルバムです。
一般受けはしないとはいえ、玉置の作曲能力の高さはこのころから随所に感じることができます。今のアレンジでこのころの作品を再演すれば十分名曲になると思います。彼の作るメロディは骨太でなじみやすいものが多いので、古い作品でも聴きやすいんですよ。2013年のライブで披露された黎明期のナンバー「ラスベガスタイフーン」なんかカッコよかったもんなー。
2 80年代黄金期(1983~1988)
1982年に「ワインレッドの心」が売れた安全地帯は、その後、「夜の都会」路線のロック歌謡(!?)の歌い手として世間に認知されます。ファンである僕にとっては、彼らをこの枠にはめすぎるのは違和感があるのですが、人気を獲得するには「わかりやすい個性」が必要ですから、ある意味必要な過程だったのかもしれません。
安全地帯に詳しくない人でも「ワインレッドの心」「恋の予感」あたりは知っている人も多いのではないでしょうか。今でも玉置の歯を食いしばるような歌い方を真似する人が多いですが、それはこのころの歌い方をデフォルメしたものです。80年代の玉置の歌い方を知らない今の人があの物まねを見ても「え~こんな歌い方してないじゃん?」と違和感を持つかもしれませんね。
安全地帯や玉置浩二というと、このころのイメージが強かったせいで、玉置自身身動きが取れなくなって息苦しさも感じていたたようです。「夜の街の歌謡曲」みたいな枠にハマりたくなかったんですね。そんな束縛にささやかな抵抗を見せたのが上に挙げた「安全地帯Ⅴ」です。
なんとLP3枚組の大容量アルバム。CDでも2枚組です。
これは単に曲を量産したいという意図からではなく、玉置の作曲に関する引き出しの多さをアピールするために結果的に収録曲が多くなってしまっているという側面があると思います。
もちろん「Friend」などの得意の王道系バラードも収録されているのですが、「パレードがやってくる」や「どーだい」などのカラッとした明るい曲や「月の雫」のような渋めの小曲など、玉置作品の様々な側面を見ることができます。安全地帯も「売れて」きた頃なので、玉置も曲作りに自由が利くようになったんでしょうね。
概してこのころは、「ワインレッドで出世して、そこから少しずつ作風の幅を広げていった」時期です。もちろん安全地帯の定番を知りたい人はワインレッドの心のような代表曲がおすすめですが、「夜の歌謡曲臭」が苦手な人は、むしろワインレッド以降のアルバムに収録されているマイナーな曲のほうが相性がいいかもしれません。
安全地帯の初期黄金期という意味で重要な時期ですので、僕もこのころの作品はよく聴きます。しかし反面、80年代のコテコテした感じ(?)が今の人には古臭く感じるかもしれません。僕も気分によってはこの後の90年代以降の作品のほうが心に響くことがありますので、80年代の代表曲を聴いただけで「自分には安玉は合わない」と決めつけないでやってくださいw
3 イケイケな路線を狙った(?)ソロ期(1987年、1989年)
ワインレッドのイメージが強いせいか、黒い衣装に身をまとったシックなイメージが強くなってしまった安全地帯。玉置がそのイメージの「枠」にささやかな抵抗を見せていたのは前述べたとおりですが、この時のソロ活動もその抵抗の一環だったのかもしれません。
上にあげた「All I Do」はそのソロ活動期のアルバムです。
収録曲の「なんだ!」などは、ノリのあるホスト系(?)を意識してみたんでしょうか?シングル曲の「キツイ」や「I’m Dandy」につながる傾向ですね。
玉置のソロというと、のちにヒットする「田園」のイメージが強すぎますが、実はこのころから安全地帯の枠から抜け出そうとする「ソロ玉置」が萌芽し始めていたんですよ。
もっとも好みの問題でいえば、僕はこのころの作品はあまり印象に残っていません。
やはりまだ「田園」時代ほどの「はっちゃけた」感じがないので、ソロとしての必然性を感じなかったんですね。まだ従前の安全地帯の枠から抜け切れていない感じ。バブリーな作風も今の感覚とは合いづらいんじゃないかな。
とはいえ、もちろん曲単位でみると名曲もあります。
「All I Do」に収録されたバラード「I'll belong」なんて、シングルカットされなかったのが不思議。
4 望郷色を強めた安全地帯期(1990年~1992年)
1988年に「微笑みに乾杯」をリリースしてからしばらくバンド活動を休止していた安全地帯。彼らは1990年になって活動を再開しましたが、その作風は依然とガラッと変わっていました。ジャケットからもわかりますね。
以前の恋愛路線から一転して望郷系・社会派系の作品が目立ち始めます。
一般的なバンドのイメージから外れた時期なので、あまり注目されず地味な扱いがされてしまうんですが、僕はもう少しこの時期が評価されてもいいと思いますよ。驀進していた時期を見直して自省するような作風は、むしろ今のドライで内省的な現代人の感覚に合っているんじゃないかな。
個人的に、玉置が北海道をテーマにした望郷系の作品が多く作っているときは、「精神的に疲れているんじゃないかな」と心配してしまうんですが、皮肉なことに彼は、弱った時の心の叫びを体現するのが抜群にうまい。その傾向は、この後のソロ期の作品である「カリント工場の煙突の上で」で爆発するんですが、その兆候は1990年の安全地帯にも出てきてるんですね。
このころの安全地帯は、曲単位でみるとヒット曲に乏しく、初心者が一聴して印象に残る曲は少ないかもしれません。
しかしその中でも「あの頃へ」だけは別格。僕が安全地帯を本格的に好きになったきっかけになった曲です。オリジナルアルバムには収録されていない曲ですが、このころの安玉を知るなら、最優先で聴くべき作品です。
「あの頃へ」の後、シングル「一人ぼっちのエール」をリリースすると、安全地帯は長期の活動停止に入ります。その後、玉置は本格的なソロ活動で新境地を開き、「田園」などヒットを飛ばすようになります。今の人はこのころの玉置のイメージのほうが強いんじゃないでしょうか。
もっともソロ活動開始後、すぐに「田園」リリースとなったわけではありません。
その辺の過程、つまりこの記事の続きは次回に書きたいと思います。
本日もご覧くださいましてありがとうございます。